『異例の残暑』という言葉の異例な増加

異例の残暑、という言い回しを今年はよく見かける。9月中旬になっても未だ最高気温30℃を超える場所が多い為、そう表現されるのだろう。私はこの言い回しを見るたびに、何やら違和感を覚えていた。この際なので、どういうところが引っかかるのか、じっくりと考えてみた。

残暑、という言葉がまず気になる。調べると、残暑とは立秋を過ぎてもまだ暑いことのようだ。今年2024年の立秋は8月7日であったようなので、既に1か月以上が経過している。それで異例の残暑なのか、なるほど、と納得しかけて、さらに2つのことが気になり始めた。

暑い、というのは主観である。だから気温がどうであろうと、その人が暑いと思えば暑い。そんな基準では、暑がりの人に言わせれば立秋を過ぎても秋分を過ぎても冬至を過ぎても暑いのだから、一年中ずっと残暑となってしまう。きっと暑がりの人は少数派なので無視されているのだろう。可哀想に。

異例、というのは通常と異なるという意味だと理解している。異例の残暑、とは、通常と異なる残暑、だ。では何が通常で、どう異なるのか。ここ数年、残暑が厳しかったような覚えがあるが、過去10年間の記録と比較して今年はとりわけ暑いのか、それともとりわけ残っているのか、その両方なのか。

過去の記録と比較することなど、できるわけがない。なぜなら先に書いたように、『暑い』が主観だからだ。温度や湿度の記録を見ても、その日その場所が暑かったかどうか、未来の人には体感できず、よって分からない。なのに今年は異例の残暑なのだ。不思議なことである。

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