冬の我が家

愛用しているノートパソコンの電源が不安定である。ついさっきまで普通に使えていたのに、少し目を離すと電源が落ちていたりするのだ。電源ケーブルを接続している時には発生せず電池駆動の時だけに発生すること、発生後は電源ケーブルを接続しないとそもそも電源が入らなくなること、電源ケーブルを接続して再度電源を入れると電池残量がゼロと表示されることから、つまり電池切れなのであろう。電池が切れたのだから、使用者の都合に関わらず電源が落ちる。これは普通の事である。

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2021年12月の総括

調査をしたわけではないので完全なる主観なのだが、1月1日は最も多くのブログが更新される日付だ。だから自他ともに認める天邪鬼である私としては、決して1月1日にはブログを更新するまい、と心に決めていた。12月に1回も更新していないくせに1月1日に更新などしてしまったら、そのままその年は1月2日以降1回もブログを更新することのないまま翌年の1月1日を迎えそうではないか。それで2023年1月1日の記事に「もはやこれは日記ではなく年記である」などと書くのだ。そのような未来は是非とも回避したい。

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カレーの店でカレーを食べる

以前から、その店の前を通りかかる度に何となく気になっていた。あるビルの地下にあるレストラン街の一角、それなりに年季の入った看板には店名の前に『カレーの店』と入っている。僕はその文字列を見て「なるほど、ここはカレーの店なんだな」という文字通りの感想を抱きつつ、結局そこへは入らず他の店に入ることを何度か繰り返していた。ある日、僕は別にそこまでカレーが食べたい気分ではなかったのだが、せっかくその店の近くに来ているのだし、これだけ気になっているのだから一度は入ってみよう、と心に決め、気軽にその店に入ってみた。

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あの4Kがついに手元へ

ついに我が家にも4K環境がやってきた。4Kといっても、キワめてキツいキタナいキケン、ではない。そんな環境ならこっちから願い下げだ。ここで言う4Kとは、パソコンのディスプレイ解像度の内、3840×2160ピクセルのものである。4Kの4は数字の4、Kは国際単位系における接頭辞Kiloの略、すなわち4000という意味で、それが何故3840×2160を指すのかというと、3840は約4000だからだ。嘘のような話だが本当の事なのだから仕方がない。同じ解像度を指す他の名称として、UHD(Ultra High Definition)だとかQFHD(Quad Full High Definition)だとかがあるらしいが、いまいち浸透していない。だから4000未満だけど4Kなのである。

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どうしたら良いのやらCPU

コンピュータに詳しい人でなくとも、CPUという単語を聞いて「コンピュータの脳みそ的な奴」と思い当たる人は多いだろう。そのくらい、コンピュータは今日の社会に欠かせないものとなっている。しかし、そのCPUにどのような機能が備えられているか、ということに詳しい人はそこまで多くはないだろう。これはCPUがことさら特殊なのではなく、今日の社会にはそういうものがたくさん転がっている。例えば私は、電灯や水道やガスなんかに日々お世話になっているが、それらの仕組みについて誰かに説明できるほど詳しくは知らない。知っているのはつけ方や消し方くらいのものだ。

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さよならSysMain

Windows10 バージョン1809以降、SysMainと名付けられた機能がデフォルトで有効化されている。名前を素直に読むとシステムのメイン機能であり、あって当たり前、無くなったら大問題、のように思える。しかしこれはWindowsが提供するサービスの一つであり、停止してもWindowsそのものが使用不可能に陥ることはない。調べたところSysMainとは、以前はSuperFetch、さらにその前はPreFetchと名付けられていた機能の発展形のようなのである。PreFetchは、Pre――あらかじめ、Fetch――取ってくる、すなわち先読み。SuperFetchは、Superなので超先読み。それが何故、HyperFetchなどではなくSysMainと改名されたのか。それほど興味はないが。

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とても便利で恐ろしい通信販売

それなりに長く生きていると、ふと「いま現在の自分を、若い頃の私が見たらどう思うだろうか?」などと考えたりする。若い頃の私は疑り深い人間で、とにかく世の中は自分にとって良い方向には進まないと思っていたし、誰も彼もが自分の事を騙そうとしていると思っていた。そんな過去を持つ私がいま現在、よく通信販売を利用するのである。若い頃の私に言わせれば、通信販売など詐欺の温床であり、現物を見ないまま料金を支払うなどは愚か者のすることだった。将来、当の自分がその愚か者になってしまうと聞いても、当時の私は絶対に信じなかっただろう。

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期待しすぎた新プリンタ

プリンタを買い替えた。以前から機種の目星はつけており、引っ越しをしてから買おうと考えていた。期限までに転居先の物件を見つける事ができず引っ越しをしないことになったが、だからと言ってプリンタ買い替えを検討していた動機である、現プリンタの不具合が直るわけではない。更新料は払ってしまったし、少なくとも今年中に引っ越しをすることは無いと考え、先にプリンタの買い替えを済ませてしまう事にした。いま個人用プリンタの用途は多くが年賀状の印刷だろう。私にとってもそうである。だから、世の中が年賀状の事を考え始める前に買い替えるのが得策だと考えたのである。

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エアコンの漏水

引っ越しをしたかったが、結局しないことにした。いや、その表現は正確ではない。賃貸物件の契約更新時期が来る前に引っ越せるよう物件を探していたのだが、なかなか良い物件に巡り合えずにタイムリミットが来てしまっただけの話である。不動産屋に契約更新の旨を伝え、更新料を持参し、新たな短期火災保険に加入する。そんな2年に一度の儀式を済ませ、あと2年の内に引っ越しをするぞ、と気持ちを新たにした。それから一週間もしない内に、エアコンから水が漏れ出したのである。

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しあわせぢから

人間は誰しも幸せになる権利を持っている、と私は考えている。しかしこれを、人間は誰しも幸せになることが可能である、と書いてしまうと、少しニュアンスが違ってくる。権利を持っている、ということは必ずしも、権利の行使が可能である、とは言い切れないと考えるからだ。例えば、ある映画のチケットがあなたの手元にあるとしよう。このチケットを映画館へ持って行けば映画が見られるから、これはあなたが映画を見る権利を持っている、ということに等しい。だが、チケットそのものをいくら眺めてみても、あなたの目に映画が映ることはない。映画を見る権利を行使するためには、映画館へ行くという前提条件を満たす必要があるのだ。

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