44回目の誕生日

今日、8月22日は私の誕生日である。誕生日というのは、人によって嬉しかったり嬉しくなかったりするが、世の中ではとりあえずハッピーバースデーということになっている。では私にとってはどうなのかというと、色々な意味で嬉しい日だ。誰かが私の誕生日を覚えてくれていて、言葉や物をくれることは素直に嬉しい。しかし私が嬉しいと感じる理由のもう一つは、あまり他の人には共感してもらえないかもしれない。その理由とは、この日が私にとっての特別な日であって、私以外の人にとっては特に何という事のない日だから、というものだ。

社会的に特別とされている日付はたくさんある。例えば元日や成人の日などの祝日、祭りやクリスマスなどの季節イベントなどだ。これらは多くの人々に、嬉しい嬉しくないは置いておいて特別な日だとは考えられている。これは同じ文化圏に属していれば皆が同様に認知しているもので、そこに個人差はない。しかし誕生日というのは、個人ごとに特別と考える日がまったく異なってくる。つまり、元日やクリスマスは「みんなの特別」であり、誕生日は「私の特別」なのだ。私の特別は私だけのものであり、みんなとは違う。そのあたりの希少感が、私が嬉しく思う理由なのかもしれない。

性格の悪い人(ちょうど、この文章を書いている人のような)は、ここまで読んで「お前以外にも8月22日に生まれた人間はたくさん居る」などと言うかもしれない。それはその通りなのだが、私はこれまでに私と同じ誕生日の人物に出会った事がない。だから私にとって、8月22日は私の誕生日であり、他の誰かの誕生日ではないのである。この世の中にはたくさんの物事が存在する、と噂ではいろいろ聞こえてくるが、その物事を私自身が直接見聞きしない限り、それは私の世界には存在しない物事だ。見ず知らずの人間の為に、私の時間は使いたくない。

閑話休題。とにかくそうしたわけで、私にとって8月22日という日は特別である。それと同時に、誕生日と同じ数字の並び『822』についても、どういうわけか親近感を抱いている。例えば私が次に乗る飛行機が822便だったら機内でずっとニコニコしているだろうし、偶然8時22分にデジタル時計を見かけたら嬉しくなってしまうだろう。冷静に考えてみれば私と822便や8時22分とは何の関係もないはずだ。だからこれは完全なる私一人の思い込みなのだが、嬉しくなる思い込みなのであれば、悪くはない。そのうち『822』とついていれば何でも買うような蒐集癖につながらないようにだけ、気を付けたい。

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